「名曲紹介」という触れ込みで、僕が個人的に考える“皆様に聴いてほしい音楽作品”を紹介していくシリーズを始めていこうと思います。「有名曲紹介」ではないことをご了承ください。
僕が研究しているのはシェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874-1951)という作曲家です。西洋音楽史では、20世紀初頭に組織されたグループ(といっても実態は一門)新ウィーン楽派の指導者格であり、後期ロマン派的な複雑な和声から出発して所謂無調音楽に至り、さらに十二音音楽へと辿り着いた作曲家として知られています。彼がその生涯に書き上げた作品の数は決して多いものではないのですが、どれも熟慮が重ねられた、エネルギーに満ちたものとなっています。
さて、シェーンベルクの家系はユダヤ人でした。シェーンベルクが十二音音楽を確立し始めた1920年代初頭、彼は2つの事件に遭遇します。
1つ目はシェーンベルクが休暇で訪れたザルツブルクのマットゼーにおいて、名指しで滞在を歓迎しない旨の葉書を送られるというマットゼー事件。この地の地方紙には反ユダヤ主義の記事が載ったり、地方議会がユダヤ人には避暑客としての滞在を認めていなかったりということをシェーンベルクは知ることとなります。
2つ目は、シェーンベルクがカンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944)と一時決別したバウハウス事件です。バウハウスに招かれたカンディンスキーはシェーンベルクにも参加を呼びかけましたが、シェーンベルクはカンディンスキーの反ユダヤ主義的態度を理由に参加を断るどころか親交も断ってしまうのです。実際にはカンディンスキーが反ユダヤ主義を掲げていたというわけではなく、カンディンスキーに言い寄ったものの落とせなかったアルマ・マーラー(当時はグロピウス)が腹いせに「カンディンスキーはユダヤ人排斥論者だ!」とシェーンベルクに吹き込んだのが真相というなんとも酷い事件であり、その後偶然再会したカンディンスキーとシェーンベルクは誤解を解くことにはなったのですが。
これらの事件を受けて、シェーンベルクは自身のユダヤ人としてのアイデンティティを意識し始め、反ユダヤ主義との闘いに身を投じていくことになります。それは宗教的立場にとどまるものではなく、政治的にもはたらきかけていくものでした。
《ワルシャワの生き残り》Op.46は第二次世界大戦終結後の1947年に書かれました。語り手、男声合唱、オーケストラという編成で、ナチスのホロコーストからの生還者の述懐という形をとるテキストもシェーンベルクの手によるものです。これからガス室へ送られる窮地に立たされたユダヤ人たちが一斉に祈りの歌『シェマー・イスラエル』歌い始めるという鬼気迫る筋書きの、一種の短いカンタータであるわけですが、この作品がナチスのホロコーストを非難、ひいては誤った指導者による恐怖政治を糾弾するものであることはすぐにお分かりになることと思います。
シェーンベルクは当時、弱視が進行したために細かい総譜を書くことができなくなっていました。そこでシェーンベルクの書いた略式譜を総譜に浄書したのが、作曲家・指揮者であったレイボヴィッツ(René Leibowitz, 1913-1972)です。後にレイボヴィッツはこの《ワルシャワの生き残り》の意義や価値について論じ、「我々の時代の音楽芸術の最大の傑作」とまで評価しているわけですが、彼がそう考えた理由は、この作品が十二音技法やシュプレヒシュティンメの持つ表現力を最大限に駆使したものであったからというだけではありませんでした。もちろん、テキストに沿った音楽展開や、十二音技法の旋律が伝統的な『シェマー・イスラエル』のイントネーションを踏襲していることなど、音楽としての芸の細かさも驚くべきものなのですが。
そのもう一つの重要なポイントをレイボヴィッツは、歴史上最も凄惨な事件の一つであるホロコーストへの糾弾を音楽作品という形で描いた「社会と歴史への全的なアンガージュマン(参加)」であると述べています。
政治参加の音楽は決してシェーンベルクに始まった話ではなく、前例はいくらでもありました。それどころかシェーンベルクは「自分は、政治的な事柄に口を入れる気は全然ない。靴の修繕は靴屋にまかせるように、政治をよくすることは政治家に一任する」「万事、結局どうなるかということは、歴史を見ればみんなわかることなのに、世界改良の理論にかかずらわったり、より良きことについてまことしやかに喋ったりするような芸術家を信じない」などとさえ発言しては政治に関わる音楽に反対し、門下生で共産主義に傾倒したアイスラー(Hanns Eisler, 1898-1962)との決裂もあったほどです。
それなのに、この《ワルシャワの生き残り》をはじめ、シェーンベルクは恐怖政治や差別主義に対して音楽によって反抗を示したのでした。しかもその相手はナチス。十二音音楽を含む当時の先進的な音楽に「退廃音楽」という烙印を押して排除したナチスを糾弾する音楽が、まさに十二音技法の持つ表現力で効果的に描かれたことは象徴的でしょう。ちなみにシェーンベルクはユダヤ問題については音楽作品以外にも、原稿を書いたり講演を行ったり、門下生のベルク(Alban Berg, 1885-1935)やヴェーベルン(Anton Webern, 1883-1945)への手紙の中でユダヤ人問題への積極的対応の意志を明らかにしています。ガッツリやないかい。
抽象芸術である音楽に、具体的な政治を描くことはできません。しかし、音楽家も社会の一員であることには違いなく、作品によって社会に意見を投げかけるという政治的行為の最も力強い代表例として、この《ワルシャワの生き残り》は西洋音楽史に刻まれているのであります。
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