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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】断言されるゴールと、曖昧の森


 相変わらずの状況下、動画を観て過ごしている人は少なくないでしょう。コロナ禍が無かったとしても、エンタメとしての動画は盛り上がっていますし、それに伴うトラブルも多少起こってきました。動画でウケたい人たちがストリートピアノに押し寄せて疑問が呈された事件も今や懐かしいですね。


 そんな盛り上がりを見せる動画ムーヴメントですが、この度ちょっと仲間内で話題に上がったのが「これは間違い、これが正しい」という形で音楽について語るレクチャー動画です。


 レクチャー動画というと、音楽に限らず「無料で知識が手に入るじゃーん! お得ー!」ということもあって、おそらく視聴者たちには大抵好意的に受け取られるものだと思います。その一方で以前から、正確でない知識を無責任に発信しているということが歴史系などのレクチャー動画で指摘されたりもしていました。


 で、音楽の話に戻るわけですが。


 実のところ、音楽というものはかなり謎の部分が多いです。言ってしまえば、音楽の教科書に載っていることでさえも厳密には「そういうこともあるけれどそうとも限らない」みたいなことがザラにあります。


 例えば以前の記事にも書きましたが、速度標語 “Vivace” は速い部類のテンポであると習いますが、時代を遡ると「様々なテンポで演奏される」ということになっています。速いテンポで演奏されることもある程度の意味でしかないわけです。


 音楽に関しては、どうしても断定的に答えを出さない方が音楽としての自由度を保てるという面があります。そうでない場合があり得る、掘り進むと事情が変わる、ということを忘れてはいけないのです。まさにゴールの見えない、果ての無い思考を音楽は要求してくるのです。


 

 そのことを自分が分かっているのはいいとして、それを相手に伝えようとした際には、そのやり方によっては落とし穴が待っています。


 そう、レクチャー動画。多くの人に観てもらうためには、なるべくコンパクトに収めることが重要になってくるでしょう。話は簡潔に、時間は短く。あまりに長時間の動画を投げつけられたところで、大体の人は観る気を失くすでしょうから。


 その効果的な構成を作るためには、まずゴール地点を決めます。ここを伝えられれば完結というものです。そしてそこへの最短ルートを考えれば、簡潔で明解なレクチャーが完成します。


 ここにこそ罠があるのです。「まずゴール地点を決める」のところにおいて、音楽に関してこれがゴールだと断言できるゴールは存在するのかしら、ということなのです。それは思考の通過点の一つにすぎないというのが実際殆どのところでしょう。


 似たような事例が学校の授業です。授業も「ここがゴール」という地点を決めて、そこに向かって経過を作っていくのです。しかも授業時間数にも限りがありますから、物理的に扱える範囲も限られてきます。10時間なら10時間で辿り着けるゴールを設定し、そこで授業を完結させます。しかし、音楽は全く完結しません。それは授業範囲としての完結であって、音楽としての完結ではないのです。


 しかし、授業が完結しなかったらゴール地点が消失してしまい、まとめがまとめでなくなってしまうのです。最後の最後で答えが曖昧なものだった、では生徒たちもモヤッとして終わるでしょう。同様に、レクチャー動画が最後に解決に到達しなかったなどということになれば、コンテンツとしては低評価の嵐は必至となります。厳密に音楽の話をしようと思ったら、明解でないわまどろっこしいわゴールも見えないわ面倒だわで「わかりにくい」ことは避けられないのです。ここに伝達形態とのジレンマがあるのです。


 ある意味、本当に音楽を深く掘り進ませたいのであれば、動画でも授業でも、まとめは収束ではなく発散する方向になります。発散しているのに “まとめ” と呼ぶのもおかしな話ですが、何が正しくて何が誤りであるかを断言するのではなく「こういう考え方もあり得るよね~」の積み重ねしか、音楽においてはできないのです。


 どうしても、視聴者は疑問の解決を望んで動画を観ています。そこで「これは間違い、これが正しい」という断言が為されるのは、快刀乱麻を断つが如く爽快に違いないのです。自分がまた一つ明確なゴールに辿り着き、賢くなったという満足感と自信が湧いてくるかもしれません。


 しかし、そこでゴールしてしまうのを一歩だけ待っていただきたいのです。用意されたゴールのすぐ脇には、迷いの森たる音楽の深部へと進む道が延びているかもしれません。そこから先はもう “簡潔さ” など求めようがない世界です。音楽は「そういうこともあるけれど、そうとも限らないかもしれない」という広大な曖昧の森なのです。


 

 まあ、そりゃあよっぽど「それはねぇだろ…」と思われるものについては誤りと認識してもいいかもしれませんが、音楽における大体の事柄は正誤を割り切れるほど単純なものではありません。答えが発散してしまうことを繰り返しながら考えるうちに「こっちかもしれないぞ…!」などと勘がはたらき始めるようになるかもしれませんよ。


 断定とは明解で分かりやすいものです。そんな分かりやすさのために途中で足を止めてしまうのであれば、それは勿体無いことでしょう。案外「こうだ!」ではなく「自分はこう考える」みたいな言い方をした方が、相手の思考を止めずに済むのかもしれません。

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