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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】ヨコハマトリエンナーレと、創り直すこと

 ヨコハマトリエンナーレは、横浜で3年ごとに開催される現代美術の国際展覧会です。僕は2011年の第4回以降、毎回足を運んでいます。そういうわけで、今年も行ってきました。



 今回のテーマは『AFTERGLOW ── 光の破片をつかまえる』とのこと。ディレクターはインドのアーティストグループ『ラクス・メディア・コレクティヴ』。“光の破片”とはビッグバンの名残の電磁波を喩えた言葉であるそうですが、つまりはその飛び散ったエネルギーをつかまえて新たなものを創っていくということを考えていくのが今回の狙いでしょう。


 個人的には良くない意味でインパクトが大きかった作品もありまして、それはそれで実際に足を運んで苦笑いしてほしいのですけれども(笑)、それはさておき、単に前衛的・実験的なものというよりは社会的な題材の作品が多かったように思います。フィクション作品というよりはドキュメンタリー作品といいましょうか。


 腸を模した布のオブジェ、猛毒をもつ巨大な観葉植物、病に冒されながら見えたものの数々、イランの漁師たちの儀式の歌と踊り。過激派イスラーム組織『Boko Haram』に襲撃された学校の生徒たちのケアの日常、廃船を用いたテーブル、廃家具を用いたオブジェ、光る絹糸で傷口を縁取られた様々なもの。


 そこに表れるのは “再生” や “共生” でありましょう。壊れてしまったものをどのように創り直すかということ。ただ元の形に戻すのではなく、新しい形に創っていくこと。人間に牙を剥くことがあるものとも折り合いをつけてやっていくこと。


 おそらく、もう起こってしまったものは仕方が無いのです。確かに守れたはずのものもあったでしょう。しかし、何をどう足掻いても、どうしても守れなかったものもまた、残念ながらあると思うのです。


 起こってしまったものの中でも、反省すべき点は徹底的に反省すれば、次に活かすことができます。それもある意味では、壊れたものの中から新しいものを創り出すことでしょう。今までのやり方が拙かった、通用しなかった、ということに気付くことが、今後通用するやり方を創出する切っ掛けになるわけです。


 通用しないとわかってしまったやり方にこだわり続けたところでそれは通用せず、結果的に今後何もできないと結論付けてしまうのは単なる諦めであるかもしれません。大きな力によって今までの様式が砕け散ってしまったならば、その破片からどうにか次のものを拵えるように工夫しなければ、もうそこには停止ルートしか残されていないのです。確かに完全に今まで通りのものはもう戻ってこないかもしれない。ならば “今まで通り” を取り戻そうとするよりも、“これから” を新たに創ろうとした方が、案外失わずにいられるものも多いと思います。


 

 音楽家たちにおいては、此度の新型コロナウィルスへの対策のために、コンサートを含む音楽活動の形はすっかりひっくり返ってしまいました。不特定多数を集客するコンサートは感染経路を追うことが困難。客席を削減し、客席同士の距離を取らねばならないこと(これについては最近の研究で、マスクをして積極的会話を避ければ客席の距離を取らなくても大丈夫であるらしいことが示唆されましたが)、合唱祭を含む音楽祭はほぼ中止、レッスンも対面をできる限り避けてオンラインへ…等々、多くの音楽家が活動スタイルの試行錯誤を強いられることとなりました。「これまでの音楽活動スタイル」もまた、新型コロナウィルスによって砕け散ったものとして数えられるでしょう。


 僕自身も、かなり大きな転換をもたらされた一人だと思います。それこそ3月まで非常勤講師で疲弊していたので、主な音楽活動といっても自主企画か合唱祭の伴奏か、そして時々ある個別の伴奏依頼か…という程度でした。合唱団に関しては現在も身動きが取れないところが多いのが現状ではありますが、この機会において僕の中で新しく始まったことといえば、オンラインレッスンと多重録音が大きなものだったでしょう。


 オンラインレッスンは対面レッスンができないことから苦肉の策として周囲に便乗して始めたものでした。4月からやってきましたが、感じているメリットはいくつかあります。


 まずは生徒さんたちの通いがかなり楽であることを挙げられるでしょう。それこそ、物理的に対面レッスンができない距離に在住の方にもレッスンができるというのは大きな利点だと思います。現時点で既に関西在住の生徒さんもいますし、また首都圏在住でも横須賀まで来るのにはかなり手間がかかりますが、オンラインだとリモートワークの定時上がった30分後にはレッスンに直行することもできるのです(生徒さん本人も大変だとは思いますが…)。僕は夜の時間帯にレッスンすることを何ら億劫だと思っていないので、平日の20時にオンラインレッスンに来る生徒さんも中にはいます。自分の所属する合唱団の楽典講座に至ってはもっと遅い時間帯にやったりもします。対面レッスンではこうはいかないでしょう。


 もう一つは大きな画面でレジュメを共有しながらレッスンを進めることができることです。生徒さんが口頭で解答し、僕が画面の五線譜に音符を打ち込んだりポイントを書いたりしながら進めていて、一見面倒に見えますが、じっくり考えて試行錯誤しながら答えを求めていく方式の僕のレッスンでは特にペースを遅く感じるほどのものではないと思います(むしろ説明のペースが早いことは反省せねばならない…)。しかもFinaleの画面をそのまま映しているのでその場で鳴らして確認もできるのです。これは紙の上ではできますまい。その日の学習内容や実施した課題はPDF化して送ることもできますし、こちらも生徒さんたちがこれまで何をやったかすぐに確認できます。ペーパーレス万歳。


 そして多重録音。これに手を出したのは僕自身の「これまでの音楽活動スタイル」への執着もあってのものです。どうしても演奏はお客さんの反応が見え易いところでやりたい主義でして、だからこそ自主企画に関してはホールではなくサロンでばかり演奏をしてきたのですが、ストリーミング配信だとそれも見えづらく、コメントを返してもらってもなんだかこっちが反応できないのです…だったらもうリアルタイムでやるのではなく、編集ありきの作品公開の形の方がまだこちらも満足できるものを提供できるのではと思ったのでした。ちょっとまだ自前の録音ノウハウが確立できていないので依然として試行錯誤が続いていますが、ほぼ消滅した “演奏(リアルタイムでないにせよ)” の機会を半分くらいの心持ちで復活させることができたようには感じています。


 実は、非公開の演奏機会はじわじわと復活させることができています。もちろん感染対策は行った上ですが、どうにかクラスターにもならずに済んでいます。楽観に転じるタイミングはまだここではないとも思いますが、これまで通りではないながらも、新しいやり方を…感染を広げないようにしながらコンサートを再開する方法を模索していくことが必要になってきたように考えています。


 わかっていたことではありました。そもそも立ち止まっていられる性分ではないのです。どうにか動こうとして、オンラインレッスンもレコーディングも始めました。それこそが、僕の「光の破片をつかまえる」── 僕の新しい音楽活動スタイルを創り直すための試みであったに違いないのです。


 砕け散った “これまで” から、新しい創り直しへ。失ったものはもう取り戻せないとしても、これより後に失わずに拾っておけるものもあるはずです。壊されていくものがあるならば、芸術家たる我々は新しく創りましょう。アート(人工)の力を行使しましょう。

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