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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【名曲紹介】シューマン《主題と変奏》

更新日:2022年2月9日


 現在の環境大臣が「おぼろげながら浮かんできたんです」という理由で温室効果ガス削減目標の数値を打ち出したことが話題になりました。僕の住んでいる選挙区から出ている方なのですが、いやはや…


 

 その話は記録に留めておくにして、このコメントから思い起こした音楽作品がありました。音楽作品なんてだいたいおぼろげながら浮かんでくるものだとも思うのですが、特にその中でも程度の極まっている作品があるのです。


 それがシューマンの《主題と変奏》というピアノ曲です。シューマン自体の人気は普段クラシックを聴く人に留まらず非常に高いと思われますが、この作品を知っているのは準マニアレベルではないでしょうか。それもそのはず、人気が無いだけならまだしも、曰く付きと言えるような作品なのです。



 シューマンの生涯をご存じでしょうか。クララとの恋愛ばかりがクローズアップされますが、シューマンは30代の半ば頃から精神障害に悩まされるようになり、40代に入ると病状は更に悪化していきました。その間にも創作を続けたことは驚異的でもありますが、やはり限界は来てしまうものです。


 1854年、シューマンは自ら精神病院に入ることを決めました。ところがその準備の最中、突発的に家を抜け出し、2月のライン川へと身を投げたのです。この自殺は未遂に終わりましたが、ここで作曲家シューマンの創作活動にはほぼ終止符が打たれたことになりました。2年後にシューマンは精神病院で世を去ります。享年46歳、ショパンやシューベルトほどではないにせよ早い死であったとは言えるでしょう。


 

 このライン川入水事件のまさにその時に書いていた作品こそが、この《主題と変奏》であります。



 何の変哲もない作品と言ってしまってもさほど構わないような作品です。人気作に見られるような華麗さもほぼありません。主題と5つの変奏があり、特に盛り上がって終わるというほどのものでもありません。むしろあんなに沢山のピアノ作品を生み出したシューマンの最後がこれなのか、という驚きを隠せないような作品です。


 恐ろしい話はここからでして、この主題はシューマンの聴いた幻覚であると伝えられているのです。まさかのホラー話。もちろん彼自身がどのような体験をしたのかは分かりませんし、この話に脚色が入っていることも充分にあるとは思います。ただその一方で、「この主題を幻覚で聴いた」ということはあながち冗談でもないかもしれないとも考えています。


 シューマンはこの《主題と変奏》を書く前年、1853年に《ヴァイオリン協奏曲》を書きました。しかしこの《ヴァイオリン協奏曲》は長らく演奏されず、初演はなんと1937年。クララがこの曲の演奏を禁止しているうちに忘れ去られ、ヨアヒムの蔵書から発見されたのがこの時だったということなのですが、クララが何故演奏を禁止したかというと、《ヴァイオリン協奏曲》の第2楽章が、その後に書かれた曰く付きの《主題と変奏》に酷似していたからであるといいます。


 階名を振って確認してみましょうか。まずは《主題と変奏》から。



 はい、このようなシンプルなものです。

 では《ヴァイオリン協奏曲》の第2楽章はどうでしょうか。



 ゾッとする一致です。リズムまでもか。なるほど確かに一聴してすぐに気付くレベルですから、クララが不吉に思ったのは無理もないかもしれません。


 ところが、実はこの旋律はさらにその前にも出てきていました。28曲から成る《子供のための歌のアルバム》Op.79の中にそれはあります。



 少し異なっていますが、だいたい同じような旋律であると捉えてよいでしょう。この歌詞は「あの重苦しい日々の後に、なんて野原は明るくなったことか!」という意味でして、特に暗い歌というわけでもありません。


 見方は二つあるでしょう。苦しみの日々を抜け出すことに期待する思いからこの旋律を使ったのか、それともこの旋律が延々とシューマンの脳内を支配していたか、です。前者ならば救いがあるエピソードなのですが、当時の言動が後者っぽいことは否定できないような気がします。


 

 おぼろげながらか、くっきりとかは分かりません。ただ、"聴こえてしまった" シューマンの、あまり笑えないエピソードとして知っておいてもよいかもしれませんよ。

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