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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【音楽理論】メロドラマとシュプレヒシュティンメ:"語り"の表現力

更新日:2022年12月28日


 来月、4月20日に僕が演奏に参加するシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》は、シュプレヒシュティンメと呼ばれる歌と朗読の中間の唱法と室内楽(フルート/ピッコロ、クラリネット/バス・クラリネット、ヴァイオリン/ヴィオラ、チェロ、ピアノ)という編成による作品です。室内楽伴奏の連作歌曲集にも見えますが、一応このような作品の分類には名前があります。それが「メロドラマ」と呼ばれるものです。


 メロドラマという言葉だけを聞くと、なんだかお決まりの筋書きを持つ恋愛ドラマなんかを想像しそうです。しかし、クラシック音楽でいう「メロドラマ」は「詩や台詞の朗読に背景音楽を付けた作品」を指します。話の中身は問われません。



 シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のシュプレヒシュティンメがあまりにも異様に衝撃的に見えるためか、このメロドラマというジャンル自体もシェーンベルクあたりの時代(20世紀前半)のものではないかと思う方は少なくないかもしれません。しかし、意外なことにこのメロドラマの歴史は前古典派の時代まで遡ることができます。


 1770年のルソーの《ピグマリオン》を発端として、そのブームが飛んだ先であるドイツにいたゲオルク・ベンダが《ナクソス島のアリアドネー》などによって周囲に影響をもたらしました。そこからは主にドイツ圏において盛り上りを見せ、ベートーヴェンやヴェーバー、ベルリオーズ等が作品の一部に採り入れたりもしました。


ヴェーバー《魔弾の射手》より

 そして19世紀ロマン派の時代になって、ピアノ伴奏を伴う朗読という編成のメロドラマがそれなりに書かれるようになりました。シューベルト《この世への別れ》、シューマン《美しきヘートヴィヒ》、リスト《悲しき修道士》あたりが代表的な作品として挙げられます。


 楽譜も見てみますと、五線譜の上にテキストが書かれているのがわかると思います。まだシュプレヒシュティンメのようにリズムまで規定されているわけではないようです。


シューベルト《この世への別れ》より

 テキストと音楽の結び付きが力を強めたロマン派時代ですから、その表現力の増進も見ることができます。リストの《悲しき修道士》は、1860年時点において既に大胆な全音音階が駆使されている例となっています。この音階のもつ演出効果は既に知られていたということでしょう。


リスト《悲しき修道士》より

 メロドラマの伝統は20世紀にも受け継がれ、R.シュトラウス《イノック・アーデン》、ウルマン《旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌》といった作品が書かれました。フィッシャー=ディースカウがメロドラマを集めたアルバムを出しておりますので、気になった方は調べてみてください。


 《月に憑かれたピエロ》が作曲されることになった要因自体は、初演者でもある女優アルベルティーネ・ツェーメからの委嘱でした。実はコジマ・ヴァーグナーに師事したツェーメは、既にメロドラマの独演会を開いて人気を博していました。既成のメロドラマばかりの上演ではない道を探ろうとしていたところで、シェーンベルクに白羽の矢を立てたのでしょう。


 どうやらその時にツェーメがハマっていたのがハルトレーベンのドイツ語訳によるジロー『月に憑かれたピエロ』であり、実はシェーンベルクより前にもフリースランダーという作曲家に音楽を委嘱したりもしています。それがあまりお気に召さなかったようで、「もっと特徴的な音楽を!」とシェーンベルクに頼んだ結果が、この特徴的にも程がある《月に憑かれたピエロ》の誕生に繋がったのでした。


 

 なるほど、意外にもメロドラマには歴史があることがわかった。しかしシュプレヒシュティンメの方は流石にシェーンベルクから出てきた要素だろう…と思うのが一般的なところであろうとは思います。


 ところが、実はシュプレヒシュティンメの方も考案者はシェーンベルクではありません。この演奏法を考案したのは、オペラ《ヘンゼルとグレーテル》でお馴染みのフンパーディンクでした。オペラ《王の子供たち》の初版において用いられたのが、シュプレヒシュティンメの初出と言われております(符頭が✕印になっている音符)


フンパーディンク《王の子供たち》(初版)より

《王の子供たち》初版の作曲は1897年。《月に憑かれたピエロ》はおろか、シェーンベルクはOp.1やその近辺の歌曲を書いていたような時期の作品です。しかしその後改訂によってシュプレヒシュティンメは削除されてしまったのでした。


 それでもシェーンベルクはこの唱法を知っていたようで、《月に憑かれたピエロ》以前にも《グレの歌》の第3部で既にシュプレヒシュティンメが試行されています。


シェーンベルク《グレの歌》第3部より

 《グレの歌》の時点でも、音符で抑揚やリズムを示したことにもよるのか、非常に表情豊かな語りが実現されていました。《月に憑かれたピエロ》を初めて聴くと「なんだか過剰な喋り方してんな」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、その抑揚やリズムの一つ一つが表現となっているのです。朗読している詩の内容がそもそも狂気的なので、意味まで踏まえるとその語り方に納得もできると思います。


 シェーンベルクは以降、《ナポレオン・ボナパルトへのオード》や《ワルシャワの生き残り》などでシュプレヒシュティンメを駆使し、絶大な演出効果を上げました。


シェーンベルク《ナポレオン・ボナパルトへのオード》より

 同じようにテキストが用意されたならば、そのまま歌として歌わせるという選択も可能であったはずです。それでもシェーンベルクがシュプレヒシュティンメという唱法を捨てずに用いていたのは、その "語り" の表現力に確信を持っていたからであるかもしれません。


 メロドラマやシュプレヒシュティンメを一般で学ぶ機会はそうそう多くないと思われます。ぜひ、これらの音楽(+朗読)にも興味を持っていただけたら幸いです。



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