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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】昔演奏した曲を演奏すると当時のままのような演奏になってしまうこと(悪い意味で)


 「演奏する」ということを頻繁にやっていると、一度は演奏した経験のある曲を再び引っ張り出して弾くということも出てくるようになりました。そうは言っても僕なんかはその頻度がまだ少ない方でしょうし、世間に引っ張りだこの方々はそれこそ特定のラインナップをすぐに弾けるレパートリーとして保持していることでしょう。


 僕自身が経験して体感した事象があります。学生時代以前には、他人より多くとは言えないまでも、音大生相応の曲数は弾いてきたと思います。学生時代に一度弾いた曲を今になって弾くこともいくらかあります。


 その際に、悪い意味で "昔演奏したままのような演奏" をしてしまうということが度々起きることを体験しました。これは「忘れていない」とか「すぐに思い出せる」というポジティヴな話ではありません。


 例えば僕は今31歳ですが、この歳までには一応色々な音楽を経験してきた筈です。大学生、大学院生、社会人の間もピアノを弾いてきましたし、その前にも様々な曲を弾きました。初学者が取り組むであろう古典派のいくつかのソナタや、近代の小品などを中高生の頃には弾きましたし、それらの中には大人になってからでも弾く機会があるであろう作品もいくつか含まれています。


 困ったことに、中高生や大学生の時に弾いた曲を引っ張り出そうとした時には、自分の演奏がまるで中高生や大学生の時のクオリティに後退しそうになるのです。悪い意味で手が昔の弾き方を覚えているのだと想像します。


 何が悪いかと言うと、その "昔の弾き方" というものはその当時以降の音楽体験が無い状態でやっている弾き方であるわけです。


 僕はベルクの《ピアノソナタ》を弾いた頃からピアノの弾き方を大きく変えました。大学院を修了する寸前という時期ですから、実は今の僕は学生の時とはほぼ異なる弾き方でピアノを弾いています。ところが、ベルク以前に弾いていたバルトークやファリャやヒナステラなどを掘り起こそうとすると突然、学生時代の弾き方に戻ってしまうのです。


 そもそも、昔一度演奏した曲であるといっても改めて楽譜を読み直してみると「ここがこうなっていることに当時は気付いていなかった」ということも多々あるものです。一度演奏した曲だからもう譜読みは終わっている…などという考えさえ振り払うべきかもしれないわけです。


 以前に演奏した時からはさらに他の様々な音楽経験を積んでいるはずであり、それらを反映した新しい音楽表現を一から作り直してみることすら必要なのかもしれません。10代でやる音楽と、20代でやる音楽と、30代でやる音楽とではやはり何らかの進歩や発展が見られるべきではないでしょうか。案外、学生時代のような充分な練習時間を確保できずに劣化現象が起きることもあるのですけれども…


 そのような意味では、手前味噌ではありますが僕の関わっている合唱団DIOや横須賀国際合唱団などはかなり理想的な取り組みをしていると思います。中学生や高校生が歌うような合唱曲を演奏する時にでも、「今の歳だからこそ考えつく表現があるのではないか」「当時は見落としていた要素があるのではないか」と問い直しながら音楽を作れるスタンスは非常に有意義なものです。


 もちろん、そのためには常に新たな音楽を体験し、新たな発見をしていかねばなりません。それだけ学んだり考えたりすることは多くなるでしょうから時間も労力もかかりますが、昔のままで停止した音楽をレンジでチンするように演奏するのも味気無いでしょう。


 

 この記事を書いたのは、まさにそのような事例に遭遇した音楽家の知り合いから話を聞いたことがきっかけです。「高校生も演奏するような曲を、大人が高校生みたいな音楽で演奏するんだよねー…」と不満を漏らしていましたが、別に高校生の音楽を軽んじているわけではなく、そこからより様々な音楽体験をしたであろうはずの人間が、どういうわけか音楽観が瞬時に逆戻りしてしまうということに対する批判であるわけです。


 この話を外面上は「そうねー」と聞いていた榎本は、内心では心当たりがありすぎて針の筵であったわけです。大学院を出て3年間ほどはまさに殆どこの状態でしたし、30歳を過ぎてからようやく改善が見られてきたようなものです。それでも気を抜けば、一瞬で逆戻りするであろうことは目に見えていますから、自戒も込めて書き残しておきます。

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