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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【感想】『湯浅譲二 95歳の肖像 合唱作品による個展』


 8/12に豊洲シビックセンターにて開催された『湯浅譲二 95歳の肖像 合唱作品による個展』を聴きに行ってきました!


 この当日は湯浅譲二まさにその人の95歳の誕生日でしたが、残念なことに作曲者は先月に亡くなり、湯浅譲二の音楽がもたらしたものを再認識するための追悼演奏会となりました。


 個人的な話ですが、このコンサートの開催を知る少し前に、僕が高校生の時に買って持っていた東京混声合唱団による『現代合唱曲選集』というアルバムを聴き直していました。高校生当時は呑み込めなかった音楽でも今となってはかなり受け止められるようになっておりまして、その中に収録されていた湯浅譲二の《芭蕉の俳句によるプロジェクション》に衝撃を受けたところだったのです。この曲の生演奏を聴きたいというのがこのコンサートに足を運んだ大きな目的でした。


 一方で、湯浅譲二の創作の発想が電子音楽にあったという話は知りつつも、武満徹や三善晃などと比べると個人的にはあまり積極的に聴いてこなかった作曲家でもあります。中学生の時に《クロノプラスティク》を聴いて受け止めきれなかった経験があった程度でした。



 

 プログラムはさほど刺激物ではない《海》《雲》《歌 A Song》から始まりました。いずれも近年の作品で、確かに難しそうではあるものの豊穣なハーモニーが繋がっていく音楽となっています。実は個人的には湯浅譲二の音楽に対してこのようなイメージはほぼ無く、「こういう作品も書くのだなぁ」と思ったのが正直なところです。まだ《海》を聴いたところでは新鮮味を感じましたが、《雲》《歌 A Song》と進むにつれてこのタイプの音楽のネタが見えてきた感触もありました。それでも湯浅譲二らしい美観を味わうには効果的な選曲であったことでしょう。


 余談ですが、コンサートの後帰宅してから湯浅譲二の合唱曲《風》《息》《秋》の楽譜を既に持っていたことに気付きました。歌うには難しいですが、これからじっくり読んでいこうと思った次第です。


 さて、《海》《雲》《歌 A Song》を聴いてまんまと油断したことを僕は認めなければなりません。続く《プロジェクション ─ 人間の声のための》《声のための「音楽(おとがく)」》においてすぐさま度肝を抜かれました。文章や詩をテキストとせず擬声語・擬音語を用いた作品であるということは解説を読んでわかってはいましたが、想像していたものよりも遥かに多彩な音色をもつ音楽が広がる様を見ることになりました。


 普段から僕はピアニストのみならず自分も歌い手として合唱に取り組んでいますが、調性・機能和声を強く維持する音楽であるほど音のパラメータに強い制限がかけられることを感じています。ハモるためには特定の音程関係を維持しなければいけないとか、発音方法を他の人たちと近付けなければならないといったあたりですね。今や当然のように何気無くやってできてはいるものの、この取り組みによって特定の声の出し方や特定の音程に囚われていくことになるわけです。


 しかし《プロジェクション》《音楽》によってその凝り固まった杓子定規は一瞬にして打ち砕かれます。人間の声の可能性は普段用いている範囲よりもずっと広く、またそこから生まれる声の音響の可能性も同様にずっと広いことを思い知らされるのです。簡易な例としても、同じ高さの音を「ア」と歌った時と「オ」と歌った時と「カ」と歌った時では音色も音響も異なるものになるという現実を目の当たりにしたのです。


 いや、ちょっと考えてみればこれは普段から体験できていたはずの現象です。仮に実体験できていなかったとしても、考えればその可能性には思い至ることができたはずでした。それでもやはりというか、その現象が音楽の中で非常に鮮烈な形で顕現するのを体感するということに匹敵する納得を持ち得ることは無かったでしょう。生の演奏の場で聴いたからこそわかったことかもしれません。


 

 休憩を挟んで、お目当てにしていた《芭蕉の俳句によるプロジェクション》が演奏されました。先述の通り、この曲は僕も既に知っていて聴いていましたが、実演に接するのは初めてでした。CDで聴いている時点でも、テキストの歌い回しの情感に融合する形で風の音や虫の声や赤い色などが極めて高い解像度で届いてくるのを感じていましたが、直接生の合唱で聴くこの音楽はCDと比べ物にならないくらいに鮮やかでした。「CDだと音楽が軽減されるんだな」くらいに極端なことを思いました。


 風の音や虫の声の描写ならまだしも、赤い色など描写できるものか…と思うでしょう。共感覚・色聴なんて言葉もありますが、ここではそれは関係ありません。これについては本当に「とりあえず聴いてくれ」としかこちらからは言えないでしょう。「あかあかと」という視覚情報が直接脳に流入してくるような和音なのですよ。


 特殊唱法・特殊奏法を「音楽ではなく効果音」などと知ったかぶって宣う人もいますが、この作品においてはそれらの演奏方法はどう聴いても必要な音楽の一部となっています。もはやそのように宣う人たちでさえ、この作品を実体験したならば今後同じことは言えなくなるだろうとさえ思います。


 このコンサートのプログラムは現代からだんだんと年代を遡るように作品が配置されていて、恐らく多くの方が先の《プロジェクション》《音楽》の組み合わせによる声の可能性追究を聴いてビビり散らかしたと思われるのですが、それら先の作品で追究されたと思われていた声の演奏可能性は、《芭蕉》の時点で既に音楽と一体となる形で実現されていたことに気付くのであります。作曲者本人としては《芭蕉》でも取り零した部分をその後も作曲していったのでしょうが、今回のコンサートのプログラム順で聴いた聴き手にとってはこのあたりで伏線回収に畏れを抱き始めています。


 正直なところ、仮にこの《芭蕉》が終わった段階でプログラムを消化しきっていたとしても殆ど文句は上がらないのではないかと個人的には感じていました。それほどにまでこの時点で満足していたのです。そもそも《芭蕉》が日本の合唱作品の大傑作であることに異論は無いわけでして、この後に来る《問い》にはもはや一音楽家として恐怖さえ覚えていたかもしれません。


 

 プログラム最後に置かれた《問い》は、《芭蕉》よりもさらに前の作品となります。やはり発声・発音の可能性を追究する路線の上にある作品ですが、擬音語などではない日常的な言葉が音楽化する様を見たような気がします。


 「ン」「ン?」という返答を様々なイントネーションで発音して群としての律動を作ったり、あるパートが発した言葉を受けて他のパートが動き出したり、「おう」という返答の感情が昂って絶叫に近付いていったりと、言葉と音楽の境界が溶解して一体となっていく様が観察されました。《芭蕉》の時は生身の人間感が強かったのですが、《問い》はリアルタイムの人力で実現するミュージック・コンクレートであるように捉えられました。


 さらには、谷川俊太郎のテキストから政治的な要素も含まれているように感じました。5曲目の「心理テスト」において「ベトナム」という言葉が出た時のブーイングのように聴こえる音声は意図的なものなのでしょうか。作曲されたの1971年とのことで、当時はベトナム戦争の最中であったはずです。


 終曲「黙秘権」では、現代においても他人事とは思えない情景が再現されます。中央に密集した人間の塊(本当に見た目が人間の塊のような密集具合の合唱)に向かって四方からメガホンが高圧的な身分証明の問いを浴びせかけます。その問いの中には「あんた日本人?」というド直球のものまであり、レイシズム・人種差別に侵食される現代の姿も見えるようです。これらの高圧的な質問に対し、人間の塊は途切れずにエスカレートしていく絶叫によって抗っていきます。殆どクラスターのような持続和音であるわけですが、それが圧力に抗う人間の感情の乗った叫びであるというだけで、それが音楽として様々な意味を手に入れるのです。


 

 僕自身も一応は合唱書きを自称する身ではありまして、日本語の発音と西洋由来の合唱形態との整合性を取ることはできないだろうかと考えたことはありましたし、いくつかを作品という形に落とし込んでみたことはありました。


 また歌い手としても、特に最近は様々な音楽に取り組んで、より柔軟な表現をできるようになってきていたという自負がありました。日本の民謡や西洋の中世・ルネサンス音楽を歌うことによって、システムに縛られた音楽から脱却し始めることができていると思っていたのです。


 しかし今回の湯浅譲二の作品の実演を聴いて、上記の自負があまりにも浅く甘いものであったことを思い知ることになりました。これまでには3色しか無かったパレット上に9色作ることができるようになって我ながらよくやったぞと思っていたところに、9000色のパレットを見せつけられたという気分です。音楽への解像度が足元にも及ばなかったのです。


 加えて非常にまずいのは、僕が打ち拉がれている原因になっている曲のいくつかが、作曲されてから既に50年経過しているという事実にあります。今さっき新しく書かれたというわけでもない、50年前の曲にぶちのめされているのです。50年前の音楽の解像度に追いついていないなどというのは本当に落ち込むレベルでして、数日間は作曲意欲を喪失しました。これらの作品の後に作曲をするということが怖くてしょうがないですね。


 僕は日常的にシェーンベルク近辺、20世紀前半の音楽には触れているため、そのあたりの音楽の解像度にはついて行けている自信がありますが、20世紀後半の前衛音楽・実験音楽、さらにそれに続く音楽などにはやはりまだまだ理解も体験も足りないようです。湯浅譲二ももちろん、武満徹や三善晃など、今は亡き20世紀のレジェンドたちが残した音楽をもう一度辿り直すところから始めたいと思います。

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