音楽の中で用いられている音をその高さの順に配列していくと、一定の音程関係を繰り返す形で並びます。この繰り返しを音階と呼びまして、それを核となる音からオクターヴ分で抜き出したものを旋法と捉えます。
長調 / 短調を合わせると、主音の高さの違いによって合計で24調が存在することになるわけですが、元を辿れば長旋法 / 短旋法の様々な移高形であると見なすことができます。現代社会で一般に親しまれているであろう音楽の殆どはこれら長旋法(長音階)/ 短旋法(短音階)に基づく長調 / 短調によって構築されていると言ってよいでしょう。
ところで、それら長旋法 / 短旋法の他にも "旋法" というものは存在します。それこそ世界の諸民族の音楽における音組織には独自の旋法があると言えるでしょう。特に西洋の教会旋法と呼ばれた諸旋法は、西洋の土着の音楽の中にも生きてきましたし、近代におけるリバイバル以来、現代でも実は広く用いられています。
教会旋法においては同じ旋法でも音域や支配音の違いによって正格旋法と変格旋法を分けますが、専門的にルネサンス以前の音楽をやろうとしない限り、現代の実用面で覚えておくべきは正格旋法にあたるものの方だけでよいと思います。ドリア旋法、フリギア旋法、リディア旋法、ミクソリディア旋法…旋法が持つ性格の独特さから、好んで用いられるのはこの4つでしょう。
これら4つ(変格旋法も数えると8つ)の旋法は中世の時代から用いられており、後のルネサンス期から現在の長旋法と短旋法に相当すると見なせるイオニア旋法とエオリア旋法(と、その変格旋法)が加わりました。そしてあともう一つ、ロクリア旋法というものもあるのですが、これは主音と第5音が減5度音程を成すためか、実用はされず理論上に留まったようです。
(ロクリア旋法を実用して作曲を行う、その名も ロクリアン正岡 という作曲家がいらっしゃいますね)
で、それら旋法を全部まとめて音階に図示したものを先日拾ったわけですが、
…これは確かに覚える気も削がれるでしょう。確かに旋法ごとに音階組織から抜き出される部分はその通りなのですが、7つの旋法の情報が一気に入ってくることで混乱する人は多いでしょう。
また、旋法を一つずつ抜き出した図にした際にも、弊害が残ることがあります。というのも、音階組織の総体から一部抜き出すという捉え方から逃れられないために、一つ一つの旋法というまとまりの性格に意識を向けにくくなるのです。
そして、この図の絶対音高を一旦思い出さなければ旋法を導き出せない事例も起きてくるのです。とある曲集に付いていた解説では、ドリア旋法が「ニ短調から♭を除いたもの」、ミクソリディア旋法が「ト長調から♯を除いたもの」と説明されていたのを見て、確かに譜面の見かけ上ではそうだがそういうことではないと思った記憶があります。長調や短調からの派生物ではないし、絶対音高も調号も関係は無いのです。
長調 / 短調に限った話でもそうなのですが、これらを成す音同士の音程関係をどのように覚えているでしょうか。長調を "全全半全全全半" と覚えるやり方が現状どれほど生きているかを僕は知りませんが、それは本当にただ音程が全音か半音かを機械的に列挙しただけにすぎず、感覚的にも覚えにくいのではないかと思います。
そしてこの覚え方は長調 / 短調を覚えるだけならまだしも、その他の旋法も一通り覚えようとした際には大混乱は必至でしょう。ドリア旋法は "全半全全全半全"、フリギア旋法は "半全全全半全全"…などと覚えていたら、ゲシュタルト崩壊を起こしてしまいます。
さて、前置きが長くなりました。それら旋法を覚えるための方法として、階名を推奨したいわけであります。
長調(長旋法)を "ドレミファソラティド" 、短調(短旋法)を "ラティドレミファソラ" と歌って覚えるだけでも、単に全音と半音の順番を覚えるよりも、旋法中における各音の音程関係のみならず、その立ち位置や性格を体感することができるでしょう。
(子音の重複を避けるため、"シ"を"ティ"と変えています)
それを旋法にも応用するだけです。ドリア旋法を "レミファソラティドレ"、フリギア旋法を "ミファソラティドレミ"…と歌って覚えていけばよいのです。その際は、開始音を同じ音高に揃えて歌ってみることをおすすめします。例えば同じHの音を開始音に据えて様々な旋法を歌ってみるだけでも、それらの旋法ごとの性格を個々に味わうことができるでしょう。もちろん長旋法と短旋法でもやってみてください。
五線にまとめられた図を暗記しようとするのではなく、自分の声で歌い、旋法ごとの性格を味わうことによって、その体感で旋法を覚えるのです。記号の上では全音と半音の組み合わせの微妙な違いにしか見えなくとも、そこに立ち上る音楽は似ても似つかないものであるはずです。ちなみにこの方法で掴めるようになると、移調・移高・移旋なんかもあまり考え込むこと無く感覚的にできるようになったりします。さらには階名で認識することによって、"ラティドリミファスィラ" のような特殊な旋法にも対応できるようになるオマケも付きます。
楽典や音楽史の教科書に五線譜で図示されるだけですと、どうしてもそれらを図的に覚えようという意識が働いてしまい、どうにか楽典の筆記試験で対応することができたとしても、実際の音楽の中で触れたり扱ったりすることにおいては断絶が起きてしまうように感じます。王道クラシックの中では無視されがちではありますが、近代以降の音楽やジャズなどの即興演奏の中ではバリバリに使われるものですから、ただ知識として知っているだけではなく演奏に反映できた方が何よりも楽しいでしょう。
一例にすぎない五線譜にあまり縛られて暗記しようとしませぬように。そして全音と半音の関係に拘りすぎませぬように。階名で歌い、それぞれの音楽として捉えられるようになった先には、長調と短調だけではない世界が待っています。
Comments