前任の伴奏者が横浜平沼高校の同期であるという縁がありまして、3月から横浜某所の老人福祉施設で活動する合唱団の伴奏者に就任しました。施設到着時の検温、マスク・フェイスシールド着用、扉を常時開放、時間短縮、少しでも体調不良の人は出てこないように、という万全の状態でやっていますが、活動できるだけありがたいですね。指揮者の先生もまた横浜平沼高校のOBであり、僕の大先輩にあたります。先生の指揮で歌ったことも以前に何度かありましたので、こうやって一緒に仕事ができることは嬉しいものです。
ところで、僕は自分の中では音名をドイツ語の「C, D, E...」、階名を「ド、レ、ミ...」で言っていますが、他の人が固定ドで音を示すことについてとやかく言ったりはしません。文脈的になんとなくわかりますし、「この人は固定ドで言っている」と認識できていれば話を合わせることはできるからです。あくまでも自分が固定ドを使わないようにしているだけですね。相手が「ここのシドシラシがさ、」と言ったら「うん、そこの H - Cis - H - Ais - H ね」という言い方で合わせます。ドイツ音名のシラブルを階名に用いる人はさすがにいないでしょうし、共通理解はこちらでもできるはずです。
結局自分のスタンスは譲っていないのですが、相手が移動ドで話しているのか固定ドで話しているのかということは認識しておこうという方針は持っているのであります。
話を戻しまして、今回話題に出した合唱団はどちらであるかというと、ありがたいことに移動ドで読んだり歌ったりしています。後でお尋ねしたところ、先生も「合唱は移動ドで認識した方が感覚的にも嵌まる」と仰っていました。僕の経験上でも、合唱団という形態が最も階名受容が早いように感じますね。階名唱の訓練で最も効果的なのも実は独唱ではなく合唱でしょうし。
そのようなこともありまして、移動ドで旋律を示すことが当然だと思って指示を聞いていたわけです。なのですが、先日ちょっとした行き違いが発生しました。
先生「ピアノの間奏のドミソからお願いします」
榎本「はい!(E - Gis - H と弾き始める)」
先生「いや、ドミソです」
榎本「……?」
…はい、2小節後のCis - E - Gis のことでした。ピアニストだからと配慮してくださったのか、突然の固定ド(変化記号の指示無し)が挿入されたのでありました。合唱に移動ドで指示していたすぐ後の固定ド指示だったのでつい対応できなかったわけです。
決してそのことを非難はしません。ドレミと鍵盤が直接結び付いたピアニストが固定ドを求める場面は別のところではあるかもしれないわけです。これは「ピアノも移動ドで指示してくださって大丈夫です」と言っていなかった僕に落ち度があります。なるほど、今後は遠慮無く移動ドかドイツ音名で指示していただくように予め申告するようにしようと思いました。これに関して察したり察されたりするのを待つのはあまり良くないかもしれない。
移動ドと固定ドのどちらを個人が選ぶのかという話はさておき、これらの混在が問題になることがあります。
ドレミというシラブル自体は、国によっては(実際にはその限りでもないでしょうが)音名としても用いられます。それは音名として "定着した" ということなのですが、イタリア、フランス、さらにスペインもそうだったはずです。ただ、これらの国は徹底的にドレミを音名として使っていまして、例えばイタリア語では「Cis(嬰ハ)」は「Do diesis」、「Es(変ホ)」は「Mi bemolle」、「G-dur(ト長調)」は「So maggiore」などと言います。G も Gis も Ges もまとめて「ソ」ではないわけですね。
また、ドレミのシラブルが音名として定着した地域では階名に数字譜(シュヴェ法)が用いられるようです。数字譜の扱いやすさがどの程度かは想像しかねますが、音名と階名に異なるシラブルを用いるという考え方自体は、ドレミが階名、CDE が音名として用いられる地域と共通であると言えるかもしれません。
実は明治期の日本においても、直輸入というわけではないのですが、音名と階名は分けられました。
音名は現在でもお馴染み(お馴染みではなくなりつつある?)の「ハ、ニ、ホ...」というもの。アルファベットが日本語では何に該当するかを考えて「いろはにほへと」が充てられたということですね。「いろはにほへと」自体が日常生活の言葉ではなくなってきたかもしれませんが。
一方で、明治期の階名は「ヒフミヨイムナ」というもの。パッと聞いてもわかる通り、発想が数字譜ですね。「ヨナ抜き音階」なんて名前を聞くかもしれません。このシラブルは、どうしても歌いにくかったことや、「ヒヒヒ」とか「フフフ」という滑稽な歌い方になることもあったために、呆気なくドレミにとって代わられたようです。ただ、数字譜まで廃れたわけではなく、横浜平沼高校の女学校時代の校歌の楽譜が数字譜で書かれて残っていますし、作曲家の團伊玖磨は民謡の採譜を後々まで数字譜で行っていたりもしたようです。
どうも戦後になってから、どういうわけか階名にも音名にも両方に同じドレミのシラブルが使われるようになり、今はどちらかというとドレミは音名的な使い方に中途半端(変化記号の区別が希薄)に偏り、階名はドレミを取られて概念自体が衰えている状況でしょうか。このことについて先頭に立って警鐘を鳴らすのはバッハ研究者である東川清一先生ですが、僕が最近知ったのは、桐朋学園でも教鞭を執った作曲家の別宮貞雄が同様の懸念を著作に書いていたことです。別宮貞雄の場合はソルフェージュ教育上というよりも旋法による作曲上の都合で言及している面がありそうですが。
移動ドか固定ドかという話を出しますと、毎回と言っていいほど話が紛糾してしまって着地点を見出だせないまま自然鎮火という流れを辿るわけですが、移動ド固定ドというところから一歩引いて、音名と階名を両方とも使えるようにするために、それぞれにどのようなシラブルを用いるかということから考えてみると良いと思うのです。すると両者に同じ言葉をあてることによる不便さに気付くと思います。僕が先日経験したのは、同じ場で同じ曲の中で移動ドと固定ドが立て続けに出てしまったということでした。どちらに何を使うかが区別されているだけでも、楽典やソルフェージュはずっとスムーズになるでしょう。
僕が音名に「C, D, E...」を用いるのはたまたまドイツ音名に馴染んでいてかつ派生音のシラブルも短いから、階名に「ド、レ、ミ...」を用いるのは数字譜で歌うのに馴れていないから、という個人的な理由なのですが、クラシック音楽史上では割とこのパターンが多いのではないかと思います。人によっては音名が「ハ、ニ、ホ...」でもよいし、階名が「ボ、チェ、ディ...(ベルギー式階名)」でもよいでしょう。意外に選択肢は少なくないものです。ドレミが音名として定着してしまってもう動かせなさそうという人は、それこそボチェディや数字譜が突破口になるかもしれません。
この話題に言及するとまるで革新派のように言われることがあるのですが、むしろアルファベットの音名とドレミの階名を用いようとすることは、言ってしまえば最保守の立場であることを記しておきたいと思います。ただ、保守であること自体は重要だとは思っておらず、音名と階名に別のシラブルを振った先人たちの知恵に学べることは少なくないはずです。そして、移動ド固定ド論争の前に、異なる概念には異なる名前を与えることを考えることが第一歩であると思っているわけなのであります。
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