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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記・検証】ハノンピアノ教本は1時間で弾けるのか算出してみた

 “ハノン” といえば、ピアノを習ったことのある人ならすぐに思い当たる名前でしょう。あの機械的な指の訓練に徹する練習曲集です。


 書いた人はフランスのピアノ教師 アノン(Charles-Louis Hanon, 1819~1900)ですが、最初に輸入された時にそう読まれてしまったのか、日本ではハノンと呼ばれていますね。


 かくいう僕も小学生の時からノロノロとやっていました。てっきり僕自身はハノンを途中で放棄したと思い込んでいたのですが、今楽譜を引っ張り出して読んでみると、音大受験を意識しなければならない時期になってから慌てて終わらせたような形跡がありました。道理で記憶が曖昧なわけです。しかも楽譜に書いてあるテンポよりも速く弾くことを指示されていたようで、過去の自分に「大丈夫? ハノン辛くない?」と聞きたくもなります。


 

 さて、そんなハノンの『ピアノの名手になる60の練習曲』(正式名称)には、冒頭にも終曲の後にも「この本は通して弾いても1時間で弾ける」という旨が書かれています。



 ハノンが苦手だった身としてはちょっと俄かには信じ難い話であります。しかし、他のピアニストたちの間でも「流石に1時間では弾けない」という意見で一致していそうです。


 というわけで、ハノンが本当に一冊通しで1時間で弾けるのかを検証してみました!


 …ただし、実際に弾くわけではありません。僕が弾いて「何時間かかりました!」などと言っても、それは僕の場合であるという以上の意味を持ちませんし、それはハノンの言葉の検証にはならないでしょう。


 ではどのようにするかというと、楽譜から演奏時間を算出するという方法を採りたいと思います。


 テンポの数字表記は、単位音符の拍が1分間にいくつ存在するかを意味しています。例えば「4分音符=120」という表記は、1分間(60秒)に4分音符を単位とする拍が120回存在することを意味します。


 つまり逆に言えば、60秒をこの数値で割れば、単位音符1拍分の秒数が求められるのです。「4分音符=120」の場合を例にすると、このテンポにおける4分音符の長さは0.5秒ということになるのです。


60〔秒〕: 120〔拍〕 = 0.5〔秒〕: 1〔拍〕


 あとは1曲全体を通して単位音符がいくつ存在するかを調べ、〔単位音符1拍分の秒数〕×〔曲全体を通した単位音符の拍数〕という式によって対象となる曲の〔演奏時間〕を求めることができるのです。


〔秒 / 拍〕× 〔拍〕= 〔秒〕


 なお、この〔曲全体を通した単位音符の拍数〕は、〔1小節の拍数〕に〔小節数〕を掛けることで導くことができます。途中で拍子が変わる場合はそこで区別して考えねばなりませんが。


 

 さあ、まずは今回の計算にあたって、ルールを先に定めておきましょう。


・「1 - 2は続けて弾く」などの、複数曲を繋げて弾くルールは適用する。

・リピートは基本的に無しとする。ただし「この小節を10回繰り返す」など言葉で指示されているものは有効とする。

・36, 37, 38はテンポが指示されていないが、仮に4分音符=108とする。

・39では和声的短音階と旋律的短音階を続けて弾く(和声短音階のリピート記号で旋律短音階に移行する)。

・曲間は考慮しない。

・1拍あたりの秒数は小数第二位以下四捨五入する。


 あとは地道にデータをピックアップです。これが実際にやってみると案外面倒だったりするのですな。あまり意識したことは無いかもしれませんが、音型パターンを繰り返すだけの20番までの練習曲でも、それぞれ小節数が微妙に異なっていたりするんですよね。他にも練習内容の都合のために途中で拍子が変わるものが少しあります。



 Excelに情報を打ち込み、式を立てて計算してもらいました。


 そして算出された一冊通しの演奏時間は…



 4179秒! つまり69分39秒!


 おやおや…確かに1時間に収まりはしなかったものの、そこまで言い過ぎな数字というわけでもなかった模様です。


 

 ここまで理屈の上での演奏時間を算出しましたが、これを見て「じゃあこの演奏時間内に弾ききってやるよ!」とか「俺は1時間で弾ききれるぞ!」などと考えた人は踏み止まってください。


 楽譜を見てもすぐにわかる通り、ハノン教本を音楽的と言うには無理がありましょう。この機械的な訓練に徹する練習曲集はそれ故に、いくらでもマシンガンのような弾き方ができてしまうのです。120と指定されたテンポの曲を150で弾くことは不可能ではないです(僕自身がやった形跡がありました)。


 しかし、そのように速い方向を目指すタイムアタック精神はほぼ間違いなく練習に “雑さ” をもたらすでしょう。そもそも、100年以上も前に書かれた教本はそのまま鵜呑みにできるものではありません。未だに日本のピアノ教育で無批判にハノンが使われているというのは事実でしょうし、使ってはいけないとは言わないまでも、その使い方を考えねばならないとは思います。いくつものリズムパターンと音型を両手で速く達者に弾けるようにするというのではなく、ゆっくりと片手ずつ、一連の音の繋がりと体に関する動作を丁寧に確認しながら練習を積んだ方が、むしろ効果が上がるかもしれませんよ。

 今回やった「演奏時間を算出する」などということは、1時間で速く弾くことを唆すためのものではなく、むしろ1時間で弾ききらないことを開き直ってもらうためのものでした。指定のテンポ通り弾いたところで、1時間では弾き終わりません(しかしそんなに盛った話でもなかったのは予想外でした)。無理に1時間で一冊を弾き通そうなどとは思わず、大事なポイントを忘れずに丁寧に、少しずつで構わない…というくらいに考えて、ハノンに向かってみるとよいのではないでしょうか。

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