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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記・音楽史】音楽史はグラデーション

 歴史の勉強というと、どうしても時代が突然に切り替わるイメージを持たれるかもしれません。この年号でこんな事件が起こって新しい時代になった、のような感覚でしょうか。


 例えば1912年に明治天皇が崩御して元号が大正に変わったとか、1918年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊してハプスブルク王朝が終わったとか、そんな事柄を記憶する形で歴史を学んできた人の方が世間では多数派でしょう。


 すると、歴史とは事件の積み重ねによってズバズバと切り替わってきたものであると錯覚してしまいがちになります。確かに社会がひっくり返るような事件も歴史上には起こり、それが強い衝撃として印象に残るものですから、そのように思い込んでしまうのも無理はありません。


 

 他の芸術の歴史も同じだとは思うのですが、音楽史についての話をすれば、音楽史上ではある事件によって一気に時代が切り替わるようなことはほぼ無いと言って差し支えないと思います。

 音楽というものは多くの人が創作してきたものです。それが一つの「時代」として認識されるためには、同時期に多くの音楽家たちが似たような特徴の音楽を書く必要があるでしょう。一つのムーヴメントになることによって「時代」として取り扱われるようになるのです。それに後から名称を与えて「バロック」だの「古典派」だの「ロマン派」だの「近代」だのと呼んでいるわけです。


 年号を定めたがる考えに従うならば…例えば音楽史上のバロック時代は「1600年から1750年まで」とされています。1600年は最初のオペラ(ペーリ&カッチーニ『エウリディーチェ』)が作られた年、1750年はJ.S.バッハが亡くなった年です。覚えやすい年号ではありますね、数字のキリも良いですし。


 しかし、オペラが誕生したことを受けて当時の作曲家たち全員が「おっ、バロック時代始まったな」と言って一斉にバロック時代らしい曲を書き始めたり、バッハが死んで「おっ、バロック時代終わったな」と言っていきなり古典派的な作風になったりする…なんてことがあり得るでしょうか(反語)


 それはあくまでも象徴的な一つの出来事に過ぎません。後世の人間がわかりやすいように目印を付けて区分しただけのことであり、時代の始まりや終わりを明確に示しているものとは言い切れないのです。


 

 音楽は多くの人間が創作してきたものであるということを先に述べました。特にそれは多くの個人と言ってもよいかもしれません。


 これらの人間たちが本当に右向け右で同じような様式の音楽を同じタイミングで作っていたわけではないでしょう。周りが流行りに乗って新しい様式で音楽を書き始めても過去の様式にこだわり続けた作曲家もいれば、圧倒的に時代を先取りするようなアイデアでオーパーツのような作品を作ってしまった作曲家もいたはずなのです。


 例えば、シベリウス(Jean Sibelius, 1865~1957)やラフマニノフ(Sergei Rachmaninov, 1873~1943)は、20世紀においてなおロマン派的な作風を貫き続けた作曲家の代表格として認識されていることでしょう。もっとも、彼らの音楽の中にも革新的な要素を見出だせないこともないのですが。


 また逆に、半音階的な音楽語法で激しい表現を行ったジェズアルド(Carlo Gesualdo, 1566?~1613)、バルトーク・ピツィカート(弦を引っ張って指板にぶつけるピツィカート)や多調のようなものを採り入れたビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber, 1644~1704)、標題的な描写のピアノ作品でロマン派の先駆と見倣されるドゥシーク(Jan Ladislav Dusík, 1760~1812)、ベートーヴェンの友人で奇抜なフーガなどを残したレイハ(Antonín Rejcha, 1770~1836)といった作曲家たちは、リアルタイムの流行から先んじた部類でしょう。


 ここまでは周囲と比べて姿勢が異なった作曲家を挙げました。しかし作曲家たちも人間ですから、実は一人の創作活動の中で様式が変化する作曲家も少なくないのです。最初はコテコテのロマン派音楽に影響を受けていたくせに途中から矢鱈と先進的になったり、逆に前衛の旗手として登場したのに晩年は調性回帰したり、なんてこともあるのです。


 僕の最推し、シェーンベルクとバルトークはどちらも最初はロマン派、特にヴァーグナーやリヒャルト・シュトラウスの影響下にありましたが、後にそれぞれ表現主義からの12音音楽や、民俗音楽に突入していくわけです。そして最後の最後で調性回帰するあたりも共通していて面白いのです。そういえば今年亡くなったトーン・クラスターで前衛の代表者となったペンデレツキ(Krzysztof Eugeniusz Penderecki, 1933~2020)なんかも、晩年は調性回帰していましたね。


 フランス生まれでアメリカに渡ったヴァレーズ(Edgard Varèse, 1883~1965)は多数の打楽器による音楽や電子音楽を創作し、今でこそ革命者として認識されていると思いますが、実は初期にはロマンティックな音楽を書いていました。しかしその後革新的な音楽を書くようになって、歌曲《暗く深い眠り》を残して初期作品を破棄してしまいました。ヴァレーズの音楽がどのような変遷を経たかをどうやって辿ればよいのでしょうか…(ヴァレーズ研究者の皆様、よろしくお願いします)


 

 というわけで、実は一人の作曲家の中でも音楽には変遷があるのです。「この作曲家はルネサンス? バロック?」「この作曲家は古典派? ロマン派?」「この作曲家はロマン派? 近代?」という区分を断定できないことは少なくありません。これらの選択肢はどちらを取ってもレッテル貼りになってしまいます。


 どうしても作曲家の生没年表を作ると、その作曲家が一体どんな時代のどのような作風をもった作曲家であるかを区分したくなってしまうでしょう。しかし「この事件が西暦何年にありました」のような簡潔な話ではないのです。極端な話、みんながロマン派の代表として大好きなショパンが、実は自らをロマン派の仲間だと思っていなかったということさえあるかもしれませんよ。


 音楽史はグラデーションで推移しています。時代はスッパリと切り替わるものではなく段々と移り変わるものであり、しかもその中でも周りと異なる作曲家は存在し、さらに作曲家の中でも音楽様式の変遷が見られる…


 断言や区分は簡潔を目指します。しかし、その対象たる音楽史自体がそもそも簡潔なものでないことは、心に留めておかねばならないでしょう。

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