2025年3月2日、戦火をくぐって来日したウクライナ国立オデーサ歌劇場オーケストラの神奈川公演を聴いてきました。ウクライナから40時間の旅路であったと聞きました。

プログラム
リセンコ
《タラス・ブーリバ》序曲
ヘオルヒー・マイボロダ
《フツル狂詩曲》
ドヴォジャーク
《スラヴ舞曲集》より
Op.46-1, Op.72-2, Op.46-7, Op.46-8
レフコ・コロドゥブ
《ウクライナ舞曲集》より
第1番、第3番、第4番
ドヴォジャーク
《交響曲第9番『新世界より』》
(アンコール)
ウクライナ国歌
シルヴェストロフ
《夕べのセレナーデ》
コロドゥブ
《ウクライナ舞曲》より第4番
会場内にはウクライナの戦禍を伝える写真の展示もありました。神奈川がオデーサと友好関係にあったことをこの時に初めて知りました。

前半は日本では演奏機会の少ないウクライナの作品の数々とドヴォジャークの《スラヴ舞曲集》からの数曲、後半はお馴染みドヴォジャークの《交響曲第9番『新世界より』》でした。
やはり前半のウクライナの作品は明らかにノリをわかっている生命力に溢れた演奏でした。
リセンコの《タラス・ブーリバ》序曲は自分もCDを出した時にリセンコ作品を聴き漁ったので既知でしたが、今回の演奏は精緻かつ迫力のある音楽として作られていて、このコンサートの期待感を高めてくれるものでした。この序曲は所謂「クラシックの名曲」に数えられても全く不思議ではないどころか、既知の有名曲を凌ぐと言っても過言ではない魅力を持っています。当然のように他のコンサートのプログラムにも入るようになってほしいですね。
続くマイボロダの《フツル狂詩曲》は未知の作品でした。ファゴットやピッコロの長めのソロも現れる、10分ほどのエネルギッシュな音楽です。フツルとはウクライナ西部のカルパティア山脈に住む人々やその地域のことであるそうです。音楽からは祝祭的な性格を感じまして、この後いつかこの曲が本当に祝祭の中で演奏されてくれれば嬉しいと思います。
リセンコ、マイボロダと迫力のある華やかな作品が二つ続いて、個人的にはこれだけでもかなり気分は上がっておりました。次に演奏されたのはお馴染みのドヴォジャーク《スラヴ舞曲集》からのセレクション。どれも既知のものです。これを聴いている最中はむしろ「何故ここにドヴォジャーク?」と不思議に思っていました。この《スラヴ舞曲集》がチェコに限らないスラヴ系の舞曲のスタイルを採り入れていて、有名なOp.72-2がウクライナのドゥムカによっているという点はあったものの、フリアントはチェコだしな…と考えていたのです。
この後に演奏されたコロドゥブの《ウクライナ舞曲集》を聴いて、《スラヴ舞曲集》で感じた疑問は解決されることになりました。これも僕は知らなかった作品です。ドヴォジャークのそれに劣らないリズミックかつエネルギッシュな音楽ですが、所々で《スラヴ舞曲集》に似たリズムやメロディがチラッと顔を出すのです。もちろん《ウクライナ舞曲集》の方が20世紀後半の作品なので書法の自由度も高いのですが、ウクライナもまた様々な周囲の文化と繋がっているということを感じました。
この《ウクライナ舞曲集》の第4番は大太鼓の一撃で終わったように聴こえます。指揮者もこちらに向いてしまっているし、曲も終わったろうと判断して僕を含めた客席は一斉に拍手を始めました。しかし拍手が終わらないうちにオケに向き直ると、オケは再び演奏を始め、指揮者は指揮者で客席に手拍子を煽ります。聴こえてくる音楽は確かに同じ曲っぽい雰囲気ですが細部に聴き覚えがありません。これは同じ曲のアンコールではない! さっきの終わったかのような演出はフェイントだったんだ!…と即座に気付いて笑顔になってしまいました。
後半の『新世界より』はお馴染みのレパートリーであるから選ばれたのだろうか…などと考えながら聴いていました。舞曲らしい箇所などは音楽のグルーヴに乗っかっていることを感じられたのですが、やはりこの曲自体の構造が交響曲然として緻密に書かれていることも影響してか、前半ほどの熱狂は得られなかったかもしれないというのが個人的な本音ではありました。
この日に知ったマイボロダは4曲、コロドゥブは12曲の交響曲を書いているということがパンフレットには書かれていました。ウクライナにしか演奏できないウクライナの音楽があるはずです。次こそはそれらを聴きたいと思います。ミサイルが飛来し、警報が鳴り響き、リハーサルの中止も余儀無くされるという状況下では、人前に出す演奏を様々に準備することは非常に困難です。それどころか、ロシアによる侵略を今後も放置していけば、このような音楽を聴ける機会はより一層失われるでしょう。僕はそれが失われてほしくないと思います。ウクライナのクラシック音楽の魂は確かに遥か遠い日本の地でも響いたと思います。
アンコールはウクライナ国歌から。日本に避難しているウクライナの方々60人ほどが客席に招待されていまして、オケの演奏に合わせて自身の存在を示すように斉唱していました。
アンコール2曲目はシルヴェストロフの『沈黙の音楽』から《夕べのセレナーデ》。ウクライナの作曲家の中で存命の長老格ですね。ウクライナにもポストモダン音楽の潮流があったことを思い出させてくれる存在です。
本当に最後の曲は、前半の最後でフェイントをかけたコロドゥブの《ウクライナ舞曲集》の第4番でした。聴いていた側としては爽快さを得ることができましたので大満足でした。オデーサ歌劇場オーケストラの皆様からパワーを分けてもらった気がしますし、こうして生きて日本に来て演奏してくれてありがとうという気持ちで一杯です。
とっとと身勝手な連中が引き摺り降ろされて、世界が誰も損をしない形で平和になって、今度こそは死に物狂いではなく笑顔でウクライナと日本を行ったり来たりしながら音楽を分かち合えたらいいですね。
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