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執筆者の写真Satoshi Enomoto

【楽典】五線と音部記号のしくみ:表記できる音域と11線譜の話

更新日:2022年1月30日


 五線譜という表記システムを持つ音楽に関わっている方は、今や少なくないでしょう。世界規模で見ればこの表記システムはまったく普遍的というわけでもなく、むしろ五線譜はおろか楽譜自体を持たない音楽の方が多いであろうというくらいなのですが、しかし記譜法というものの中ではかなりの程度システムらしいシステムとして役割を果たしているのではないでしょうか。


 クラシックの演奏に関して言えば、楽譜を読んでその音楽内容を想像できるということはほぼ必須とされる知識・技能であります。その習得という基礎的段階の時点で、もう既に「楽譜は読めない」と感じて、クラシックのみならず音楽自体に対して苦手意識を持ってしまう人が現れるのは非常に残念なことであります。その段階における改善も、音楽に関わる人を増やすための一つの課題であるとは言えるでしょう。


 

 さて、5本の線の上に白い玉や黒い玉、数字や文字が跋扈する、まるで暗号のような "五線譜" からごく前面的な情報を読み取れるだけでも、音楽にあまり関りを持たない人からはほぼ特殊能力のように見えるようです。


 ところが内情を暴露しますと、音楽に関わっている人たちの間でもこの五線譜の読み取りにはかなりの能力差があることを否定できません。最も多いのは「自分が演奏する楽譜だけは読める」というものでしょうか。つまりは、自分が普段から読み、演奏する楽譜については読めても、他の要素が入ってくる楽譜は途端に読めなくなるというものです。「自分の楽器はト音記号しか使わないからへ音記号の楽譜は読めない」などという例が挙げられます。


 ちなみに現代のピアノ弾きはほぼいきなり大譜表(ト音記号が書かれた高音部譜表とへ音記号が書かれた低音部譜表の2段が一体となったもの)から学ぶのが多数派だと思われます。見る機会の多い2つの音部記号を両方学んでいるので全てカバーできているかと思いきや、訓練しなければハ音記号には滅法弱いということが起こったりもします。鍵盤楽器の楽譜がハ音記号で書かれていた時代もあったのですが、今や「ピアノには必要ありませんが、入試に出てくるので読めるようにしておきましょう」とまで宣うピアノ指導者も存在するそうです。


 小さい時から、古い音部記号を読む練習をせよ。さもないと、過去の多くの財宝を逃すことになる。── シューマン


 (上記のシューマンの言葉を引用して)しかしそれは唯一の理由ではない。昔の音部記号に習熟することは、迅速かつ確実に読譜するための秘訣であり、音楽家の専門教育の不可欠な部分である。根本的に言えば、古い音部記号と新しい音部記号があるのではなく、音部記号が7つあるだけである。── コダーイ


 彼らの言葉を心に留めておいてもよいと思います。




 

 コダーイは "7つの音部記号" と言っておりますが、つまりは読むことになる可能性がある譜表の種類が7つであるということです。恐らく一般の方も知っているであろうものが、ト音記号を用いる高音部譜表とへ音記号を用いる低音部譜表の2種類でしょう。この他にハ音記号を用いる譜表が5種類あります。例外はありますけれども。


 このように聞くと「線間と音高の対応を7パターンも記憶するなんて無理だ!」と考える方も出てくるでしょう。それは線間と音高の対応を記憶しようとするから無茶な労力をかけることになるというのが現実です。なるほど、そのような覚え方をするからこそ「自分の楽譜だけしか読めない」という現象が起こるのかもしれません。


 まず、この線と間を用いた記譜法においては、音部記号を記入するまでは、どの線もどの間も特定の音高を指し示すことはありません。5本の線を引いて玉を書き入れただけでは、実は音高どころか音程関係すらも厳密には定まらない(例えば2度音程であることは分かっても、それが長2度なのか短2度なのかは確定されない)のです。


 ト音(一点ト音)を示すト音記号、ハ音(一点ハ音)を示すハ音記号、へ音を示すへ音記号を書き込むことによって、一つの線に対応する音高が ト / ハ / ヘ であるということが定まります。そこから順次他の線や間に対応する音高が決まってゆくのです。「音部記号」と一般に呼ばれてはいますが、その実質は音高を表す「音名記号」であると見てよいでしょう。


 

 現在では専ら5本の線による五線譜が用いられていますが、時代を遡ると4線や6線や7線の楽譜も見られます。ルネサンス期の理論家グラレアヌスは16世紀半ばに書いた『ドデカコルドン』の中で、5線以上は殆ど使わず4線で書くのが習慣であるという旨を記述しています。


 旋律を記譜するにあたっての一つの方針がありました。それは「加線をなるべく使わない」ということです。つまり旋律に対して、楽譜の書き手たちは可能な限り線譜内に音符が留まるように音部記号を選び分けて楽譜を書いてきたわけです。どこの線をハ音と定めたら旋律の音域をカバーできるかということを考えるわけですね。


 このように考えると、譜表を選び分けることによってカバーできる表記範囲が変わってくることが想像できますでしょうか。下に7つの譜表を並べ、同一音高の中央ハ音を置いてみました。線を一つずつ移動していきまして、ハ音自体が五線の外に飛び出してしまった時に、書き込むこと自体が困難になったハ音記号に代わってト音記号とへ音記号が登場します。ト音記号は中央ハ音よりも上の音域を、へ音記号は中央ハ音よりも下の音域を表記する時に役立ちますね。


(なお、バリトン譜表をへ音記号で表記することもあります。第3線がへ音と定められます)


 高音部譜表と低音部譜表それぞれにおけるハ音の位置が上下対称になるという話をたまに見かけますが、ハ音が上下に飛び抜けたところで音部記号が変わっていることを考えると、ハ音記号も込みで考えた方がその理由もわかりやすい気がしてくる方もいらっしゃるのではないでしょうか。


 ところで、できるだけ加線を用いずに記譜するという方針は、グラレアヌスの時代にはもう加線を使う方針へと変わりつつあったようです。理由は色々と考えられそうですが、恐らく旋律自体の音域が広がってきたことによって、どんな音部記号を選んでも加線を書かざるをえなくなった結果開き直ってしまったという面もあるのではないかと勝手に想像しています[要出典]。


 

 ここまでで、可能な限り旋律を五線内に収めるために "音部記号が五線上を移動している" 様子を見てきたと思います。ハ音記号が動いていることが最も多いですが、ト音記号やヘ音記号を動かしてはいけないということもなく、これらも特定の位置にずっと書かれているとは限りません。


 しかし、音部記号が固定される見方をすることもできます。それが11線譜という考え方です。高音部譜表から低音部譜表までの7つの譜表をまとめて書き表すと、次のような図にすることができます。この時に線の本数が合計11本になるのです。



 僕たちが五線譜として扱うことになる7つの譜表は、この11線譜の内の5線をズームアップしたものとして捉えられるのです。このように考えると、7つに見えている譜表さえもが地続きの1つの譜表であることが見えてくると思います。


 確かに7つの譜表を読むためには訓練をして慣れる必要もあるでしょう。しかし、その表記システムの原理を知っておくだけでも難易度が下がることが期待できます。


 ぜひ、見慣れない楽譜を恐れずに、その読譜を試みてほしいと思います。それらを読めるようになるだけでもアクセスできる音楽は格段に増えるでしょう。アンサンブルでも、共演者の譜面も合わせて読めることはより密なやり取りをするのにも役立ちます。この記事が少しでも読譜に悩む方の助力になれば、と願います。



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