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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【ソルフェージュ】階名は移動しない:「移動ド」と「階名」という捉え方の差異


 いきなりトチ狂ったかのようなタイトルで始めました。「イタリア音名を使うこと」自体を「階名を使うこと」であると考える認識については、楽典を曲解しているとわかる人も多いでしょう。しかし、「移動ド」と「階名」が異なるなどと言われたら、いやさすがにそれらは同じものではないか?と思われるかもしれません。


 確かに、音程に基づく音階組織に振られたドレミ…という意味では同じものであります。全くの別物であると主張したいわけではありません。しかし、この「移動ド」という名称によって、そのイメージに不具合をもたらしている面があるのではないかと考えるわけです。


 

 まず、「移動ド」とは何故「"移動" ド」と呼ばれるのでしょうか。「固定ド」に対してそのように呼ばれる…というのはその通りなのですが、では「移動ド」はどこをどのように移動しているのでしょうか(また、「固定ド」とはどこに固定されているのでしょうか)。


 それは音名に対してのものです。音名に対して特定の位置に固定されたドレミが「固定ド」と呼ばれ、音名に対して様々な位置に度々振り直され、その対応が移動し続けるドレミが「移動ド」と呼ばれるのであります。


 下の図をご覧ください。



 「移動ド」という名称・考え方は、固定された音名を前提とするものであるわけです。音楽がD-durであればD音にドが割り当てられますし、Es-durであればEs音にドが割り当てられます。ドレミのシラブルが、絶対音高の列にその都度振られることになるわけです。これが音名の上を移動するドレミ…すなわち「移動ド」であります。


 ここで巷に言われる言説を紹介しておきましょう。「移動ドは音名に対応する12パターンを覚えなければならないから難しい」というものです。この言説は "音名の上を移動するドレミ" という捉え方をした場合には、むしろ自然に導かれるものでしょう。そのような認識をしていることを見抜かずに「移動ドの方が簡単だ!」と言うばかりでは、溝も埋まってはいかないのであります。



 

 では一方で、「階名は移動しない」という考え方がどのようなことを指しているのかを下に示してみましょう。



 固定されているのは階名の方であるということが大きなポイントです。しかも固定されているのは音高ではなく、音程です。全音や半音といった幅が固定され、ダイアトニックによる音階組織を形成しているのです。


 その音階組織が予め形成されているところに、それぞれ固有の音高が音程に従って対応していくわけです。


 つまるところ階名とは、C-D-E-F-G-A-H-C も D-E-Fis-G-A-H-Cis-D も Es-F-G-As-B-C-D-Es も全ていちいち「ドレミファソラティド」と読もうとするツールであるというよりも、先に存在している「ドレミファソラティド」が、ある時は C-D-E-F-G-A-H-C となり、またある時は Es-F-G-As-B-C-D-Es となると考えるものなのでしょう。


 

 この観点の比較から、相対音感習得への学習方針が見えてくると思います。


 先述したように、巷に言われる「ピッチクラス12パターンぶんを覚えなければならないので移動ドは難しい」という認識は、先に12の音高について学習することを前提とします。そこから7つ抜き出して「これがドレミファソラシドです、そしてこれもドレミファソラシドです、そしてこれも(以下略)」とやっていくので、それは確かに大変ですし難しいでしょう。「楽典の知識が無いと移動ドはできない」という話は、このような "音高に振るもの" という捉え方をした場合にはその通りになるわけです。


 相対音感的に音楽を捉えようとした場合に、重要なことは「ドレミファソラシド」という音程関係を自らの中に作ることでしょう。どんな高さにも存在する「ドレミファソラシド」というシステムあるいは秩序自体を習得することです。その「ドレミファソラシド」という固定された音程関係の枠組みを基準にして、様々な高さの7つの音を結び付ける…と考えると、"移動ド" と呼ばれる階名は実際には移動しておらず、むしろグループ化されたりそれが解除されたりしているのは音名・絶対音高の方であることが納得されることと思います。


 "音程関係の移動しないドレミファソラシド" という意識・感覚が生まれることが、楽典やソルフェージュの学習における大きなひとつのヒントになるかもしれません。



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