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  • 執筆者の写真Satoshi Enomoto

【雑記】決まった音楽を再現しようとするとドツボに嵌まる?


 ここ数日珍しく落ち込んでいます。というのも、久々に音楽で大転倒をやらかしたことを引き摺っていました。


 昨年末の地獄のような本番ラッシュを終え、新年からは少し余裕をもって演奏に取り組めるぞ!と思っていたのです。実際に充分な時間も確保できましたし、練習自体も捗っていたと言ってよいと思います。ここ1年近くに渡って弾き続けている曲もありましたから、特に不安もありませんでした。


 …それがどうしたことでしょう。本番の2日ほど前になって途端に暗譜が飛び始めたのです。「これまで自分が練習していた曲は本当にこういう曲だったろうか?」という迷いが生じ始め、さらには鍵盤から指が外れ始めました。


 試しに他の曲を暗譜で弾いてみると、そちらは全く異常がありません。数ヶ月や年単位で弾いていない曲でも弾けるのに、目の前の曲だけが弾けなくなっている。一体どうしたことか、と自分でも冷静さを失いながら結局楽譜を見て弾き、それでもなおいつもの倍以上のミスタッチだらけの本番になりました。


 その後からずっと何がいけなかったのかと考え込んでいたのです。しかも、その本番が終わった後には何故か暗譜が回復しました。これもまた自分のことでありながら理不尽を感じたところです。


 色々な要因が重なってのことではあると思いますが、一つの要因の可能性には思い至りました。それが"CDで出した後に同じ曲を生で"という今までに無い状況下での演奏です。


 普段の場合はその場で演奏したものが全てであり、それはその場でひとまずの完結を見せます。その場でどのような演奏をしようとも、その場限りの演奏として受け取ってもらえるわけです。


 しかしCDという形で既に出ているものを弾くとなると意味が違ってきます。生演奏の前にCDは既に世に出ている一方で、生演奏を聴いた後にCDを買って収録された音楽を聴くことになる方もいらっしゃるでしょう。その場の生演奏は、その前と後のCD音源に対して、どうしても関わりをもってしまうのです。望まなくとも、そのCDのデモンストレーションとして受け止められる可能性が出てくるわけです。


 恐らく僕は残念ながら無自覚にその感覚を察知し、ものの見事に囚われたのでしょう。自覚があった方が対応策も見つけられたかもしれませんが、後悔先に立たずです。知らず知らずのうちにデモンストレーションになることを目指し、それが普段働くはずの即時の判断力を停止させたことは想像できます。そもそも「練習したのと同じ音楽を本番でもやろう」という考えをもっていると本番時の想定外のトラブルに対応できないということは経験上思い知っていたはずなのですが、まさにその状態に陥ったのです。


 そういえば記憶を振り返ってみると、事務所のとある先輩がレコーディング後にプレッシャーに押し潰されてコンサートを遠ざけているのを見たことがありました。当時はどうしてレコーディングまで乗り越えた後にそんな弱音が出てくるのかと不思議に思ったものですが、なるほど、今ではあの先輩はそのプレッシャーに自覚的であったのかもしれないと思いました。あの時その心情をこちらにも詳しく言語化して教えておいてくれればよかったものを…(そのような余裕すら無さそうだったので望めはしない)


 これは僕の現在進行形の失敗体験と言ってよいでしょう。「CDを出した後はどうしてもCDの再現を意識して音楽も姿勢も硬直しまうので、自覚した後で振り切れ」という教訓を得ました。


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