• Satoshi Enomoto

【雑記】非常勤講師を辞めた話:音楽への向き合い方と評価と

 年度が変わったので、ちょっとプライヴェートな身の上の話をします。エイプリルフールではありません。


 僕は大学院を修了してから3年間、公立の高等学校で音楽の非常勤講師を務めてきました。非常勤講師といっても、芸術科高校でピアノを教えていたとかではありません。歌や和楽器などを教える、いたって普通の高校音楽の授業をしていたのですよ。そして、その非常勤講師の職を、この3月での任期満了をもって辞めることになりました。


 実は大学4年生の時も大学院2年生の時も、さらには非常勤講師1年目の時も教員採用試験を受けています。どれも結果は二次試験落ち(一次試験=学力試験は毎回通る)。正規教員を目指した時期が無かったと言えば嘘になります。その訓練も兼ねて非常勤講師をやろうとしたのは本当でした。

 ところが非常勤講師を1年間終えた時点で既に、自分の中の精神的負担は無視できないものになっていました。それは勤務した学校が悪いとかではなく、僕自身の “学校というシステム” に適応できなかった結果でした。


 これは断言しておきましょう。僕は音楽を教えること自体は全く嫌ではありません。現に大学院の2年間はシニアTAとして和声学の補習を学生とのマンツーマンでやっていまして、それによって学生たちも成果を上げていましたし、僕自身もやりがいは感じていました。


 高校で教えるということは僕にとって、あまりにも忙しないものだったのです。限られた時間内で多様な内容を取り扱わねばならず、じっくりと時間をかけて一人一人が音楽を習得する余裕の無いまま、テストという評価を行われる、このサイクルに疲れてしまったのです。


 このことはひとえに、僕の音楽への取り組み方に起因します。

 僕はかなりじっくりと時間をかけて音楽を作っていきます。譜読みさえも早く終わらせることを考えていません。基本的に人前に出すソロ曲は最低でも半年以上前から練習を始め、しかし実際にピアノに向かうばかりではなく分析などに多くの時間を割きます。短期集中で仕上げるのではなく、長くじっくりと延々と寄り道をしながら向き合うことで見えてくる音楽もあるのです。


 ところが、現場でそのようなことは物理的に不可能なのです。週2時間がたった1年だけの音楽の授業の中で歌も和楽器も創作も鑑賞もやらねばならない。ですからそれら一つ一つにかける時間を少なくせざるを得ず、それこそ鑑賞らしい鑑賞の授業なんて1年間で3時間とやらなかったかもしれません。

 さらに音楽の実技では、生徒一人一人がそれまでに習得してきたソルフェージュ能力や元来の器用さが、取り組みにかけられる時間が少ないほど大きく露呈します。こうなっては単純に能力を測定するのと変わりません。前期に1時間しかやらない鑑賞と後期に1時間しかやらない鑑賞で、鑑賞の能力が伸びているはずがないのです。実技においても、ソルフェージュの能力無しにただ歌ってごらん弾いてごらんというのは運動以上の意味を得にくいでしょう。

 そして、その能力不足を生徒自身が感じてしまっているのです。テストの度に振り返りを書いてもらっていましたが、真面目に練習していた生徒でさえ「もっと練習時間が欲しかった」と書く子も多いのです。そう思わせてしまった時点で僕は指導に失敗しているのです。


 もう一点、僕が学校現場に適応できなかったことがあります。

 それは「評価する」ということ、もっと言えば「点数を付ける」ということです。多くの人たちを平等な基準で評価するということを理解はできます。しかし、個人がどう向き合えるかを本質とする音楽について数字で評価するということは、僕にとってはコンクールと同じようなものなのです。まして生徒たちはコンクールのために音楽を学ぶのではありません。

「あなたの表現の技能の評価はBです」「あなたの音楽の評定は3です」という数字や記号が、これからも長く人生で音楽と関わっていく中において何の意味がありましょうか。むしろその人間の今後の音楽人生を挫くものになりはしないだろうか。誰にも他人の人生を評価する資格など無いはずだし、少なくとも僕には他人の人生を評価する責任など負えません。

 同じ理由で、僕はピアノのコンクールの審査員の仕事も全て断っています。合唱コンクールの審査員は過去に何度か引き受けましたが、もう基本的にはやらないでしょう。審査員をやる時は、演奏される曲の楽譜を全てかき集めて一通り勉強した上で審査に臨むことをポリシーとして遵守してきたわけですが、例えばその演奏の優れたところや足りないところを指摘したりアドバイスをしたりすることはできても、点数を付けるというただその一点だけにおいて大きな負担を感じたのでした。演奏の評価として数字でたった1点の差をつけるという合理性を自分の中で全く納得できなかったのです。


 これらの自己矛盾を抱えながら3年間やってきました。そこに目を瞑りながら続けることも可能だと思っていたのです。しかし今年度に入ってから仕事で些細なミスを自分でも信じられないくらい連発し、遂に秋の終わり頃にはストレス性の過敏性腸症候群を患ってしまって、個人的感情は抑え込めてもむしろ身体の方は騙し切れないことを痛感したのでありました。12月中旬には辞職を検討し始め、最終決断をして勤務学校に伝えたのは1月下旬のことでした。実は現在の勤務校を辞めることにした後に別の高校から非常勤講師のお誘いもあったのですけれど、やはりその矛盾を抱えたままでは続けられないと思ってお断りしました。



 で、今こういう状況になってしまったわけです。3月で年休消化をしつつ定収入源になる別の職を探そうと思っていたら、まさか新型コロナウィルスの影響による社会混乱が起こるとは12月中旬の時点で予想などしていませんでした。ちなみに、3月の授業は例の休校要請によって全部潰れてしまったので、僕が学校を辞めることを生徒は知らないどころか、“最後の音楽の授業”(音楽は1年生までしかないから)というものを僕も生徒もやりませんでしたね。


 演奏会が吹き飛んだのはともかく、僕の伴奏の仕事はアマチュア合唱団のものを主としていまして、クラスター感染を避けるためにはそこも停止してしまうのです。大誤算も大誤算です。レッスンなども単発でしかやっていませんし、残っている仕事は浄書と編曲だけ、さすがに月収25,000円ではやっていけません。となるとオンラインレッスンに参入することも視野に入れねばなりません。が、演奏のレッスンは自分の持っている技芸を生徒に伝授するだけの場ではなく、言うなれば「直接対面で補助せずに安全な筋トレを正確に指示できる保証は無い」「生の音が持つ要素(音楽の空間的要素)はほぼ判断ができない」という葛藤は拭えません。

 しかしここで思い浮かんだのは、ソルフェージュや音楽理論、楽曲分析のオンラインレッスンは需要があるのではないかということです。これに関しては実技というよりは座学のウェイトが大きく、レクチャー形式ならばオンラインでも抜け落ちてしまう要素はかなり少ないはずです。それに、音楽における実技偏重を押し返し、「音楽を考える」ということを促すことにも繋がります。


 こうなったら動き始めねばなりません。早速Zoomの使い方を調べねば…!

0回の閲覧

© 2023 virtuoso3104 - Wix.com